1964年8月に開園した横浜ドリームランドは日本で最初の本格的な遊園地ということもあって連日大勢の人たちで賑わっていました。しかしドリームランドは駅から遠く不便だったので新たな移動手段としてモノレールを走らすことにしました。当初は開園と同時にモノレールも開業させようと計画していましたが、用地取得と急勾配に悩まされ開園から2年後の1966年5月になってようやく開業することとなりました。モノレールはドリームランドと国鉄大船駅との間、全長5.3Km、所要時間8分で結び、最大勾配100パーミルを始めとする急勾配が続くアップダウンの激しい路線となりました。単線で3両編成の列車が2編成で運行されたので、中間地点の小雀信号所で車両の交換を行いました。当時沿線では住宅地の開発によって急速に人口が増加していたので、そこに住む人たちもモノレールを利用すると考え、この信号所には駅として使えるようあらかじめホームを設置していました。更に大船駅からだけではなく小田急線の六会駅とを結ぶ路線も計画していましたが、後に六会駅から急行停車駅である長後駅へと計画が変更されました。車両の設計は東芝が行い、連接台車を採用した東芝独自の跨座型モノレールでした。運賃は片道170円で、現在の物価に換算すると800円以上と高額でしたが、ドリームランドへの移動手段としてや、当時はまだ珍しかったモノレールに乗ってみようとする人たちで、車内はいつも混雑していました。
しかし好調な出だしとは裏腹にタイヤがパンクし、軌道に亀裂が生じるトラブルに見舞われ、開業から翌年の1967年9月に休止となってしまいました。原因は、用地買収に手間取り路線変更したことで当初の計画より急勾配が続く路線となってしまったこと。それに対応出来る車両にしようと頑丈にした所、車両の重量が増えてしまったこと。独自の規格である連接台車方式は通常の車両より台車の数が少なく、1本のタイヤに対する負担が元々大きかったこと。建設費を抑えるため橋脚の許容重量にあまり余裕が無かったこと。以上の点により車両の重量と軌道の耐久性とのバランスが崩れてしまい、休止へと追い込まれてしまいました。
その後責任の所在を巡ってトラブルとなり、運行事業者であるドリーム交通と車両を設計した東芝との間で裁判が起きてしまいました。裁判期間中は再開させる訳にも行かず裁判が終わるのを待っていましたが結局裁判が長期化してしまい、休止から14年後の1981年になってようやく和解が成立して、翌年の1982年にドリーム交通は事業の再構築を目的に、新たに設立したドリーム開発にモノレール事業を譲渡して再出発を目指すことになりました。しかしその頃には沿線の様子が大きく変わってしまい設備も老朽化してしまいました。そして1987年には車両が、1991年には軌道の電気線が、1992年には大船駅駅舎がそれぞれ解体されてしまいました。それでも再開を望む声は無くなりませんでした。それはドリームランドへの輸送機関としてだけではなく、年々増加する沿線の人口と、劣悪な道路環境に輸送力がバスだけでは対応できなくなり、新たな公共交通機関としてモノレールの再開を望む人たちが大勢いたからです。
そのような中で1988年、ドリームランドをダイエーが買い取りモノレール線をHSST(常電導磁気浮上式鉄道)で再開させる計画が持ち上がりました。4両編成で途中駅を3駅追加し1997年に工事着工、1999年に再開させるという具体的な計画も発表されました。横浜市都市計画局も公共交通機関になるとしてこの計画を支援しました。しかしバブルの崩壊により親会社のダイエーが経営難となってしまいHSSTでの再開事業費が出せなくなってしまいました。その後もダイエーの経営難が続き2002年、ついに38年間続いた横浜ドリームランドを閉園させることにしました。そして同年、HSSTでの再開を目指していたドリームランド線も廃止することにしました。翌年2003年の正式な廃止とともに長い間放置され続けてきたモノレールの設備は100億円かけて撤去することになりました。
しかしこれですべてが終わったわけではありません。沿線の劣悪な道路環境は一向によくならず、公共交通機関としてモノレールを必要とする人たちがいるからです。遊園地への輸送機関としての役目は終わりましたが、公共交通機関としての役目は果たしていません。もう一度計画を見直して欲しい。それがこのサイトの願いです。 |
▲エンパイア号
▲ドリーム号 |
事業者 |
ドリーム交通株式会社 |
営業区間 |
モノレール大船駅-モノレールドリームランド駅 |
営業キロ |
5.3km |
所要時間 |
8分 |
運賃 |
大人170円(往復運賃300円)
小人90円(往復運賃150円) |
最高速度 |
60km/h |
最大勾配 |
100パーミル |
橋脚数 |
256本 |
橋脚施工 |
三井建設株式会社 |
橋脚製作 |
石川島播磨重工業株式会社 |
車輌概要 |
東芝跨座式モノレール10形(連接台車方式) |
編成両数 |
3両 |
車輌形式 |
ドリーム号:11A・11B・11C
エンパイア号12A・12B・12C
(大船側からA号車・B号車・C号車) |
定員 |
1編成198名 |
車輌製造 |
東急車輛製造株式会社 |
車輌設計 |
東京芝浦電気株式会社 |
再開計画 |
車輌形式 |
HSST |
車輌設計 |
日本航空株式会社 |
編成両数 |
4両 |
所要時間 |
13分 |
駅数 |
5駅 |
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