忘れない忘れさせない

ドリーム交通モノレール線のレポート



■2004年11月28日 番組を見た感想
噂の!東京マガジンを見ましたがやはり予想通り、再開発を地権者(商店街)側だけの視点から取り上げていました。今回商店街側の主張を知ることは出来たわけですが、バス乗り場移転の問題については一切触れられませんでした。仮店舗を取り壊すのが勿体無いという話が出ましたが、本来この場所にはバス乗り場が出来る予定だったはずです。それを区役所などの公益施設にすると計画を変えてたことにより「取り壊して区役所にする」という図式が勿体無いという価値観を生み出したのではないでしょうか。これが当初の予定である「取り壊してバス乗り場にする」だとしたら果たして勿体無いという声は出たのでしょうか。このバス乗り場を区役所に変えさせたのは商店街側だったはずです。そして、再開発すると賃金が高くて商売がやっていけない事と、バス乗り場が遠くなる事とがなぜ結びつかなければならないのでしょうか。バス乗り場は公共施設なはずです。それを商店街側が客足を確保することを目的にわざわざ駅から離させる計画に変えさせる権利がどこにあるのでしょうか。もし移転後の賃金についてだけを問題にするのであればバス乗り場は駅前にあっても問題はないはずです。そうやって無理に客足を確保したところで商売を始めて何が楽しいのでしょう。客が来るか来ないかは店の「経営努力」の問題です。その店に魅力があれば遠くても客は足を運びます。最初から経営努力を怠り、賃金が高いと文句を言い、バス乗り場を遠くさせるのは自分勝手なのではないでしょうか。商店街側は以前、賃金の問題を訴えるためWEBサイトを開いていましたが、今は何故か閉鎖しています。テレビに取材を申し込んでおきながら、なぜサイトを閉鎖したのでしょう。今こそ自分たちの主張を堂々と言う時なのではないでしょうか。こうやってゴタゴタが続いて1番困惑しているのは、毎回300mも歩かされているバスセンター利用者なのだと忘れないで下さい。番組の最後で「誰のための再開発」と言うコメントがありましたが、私も同じことを言いたいです。
■2004年11月27日 再開発あらすじ
明日「噂の!東京マガジン」という番組で戸塚駅西口再開発事業について取り上げられると聞き、商店街側の意見のみが偏重されるのではないかと考え、ここで改めて再開発事業のあらすじをまとまることにしました。今回は事実だけを述べることにしましたが、駅利用者から見た再開発事業であるので、一部ニュアンスが違う箇所があるかも知れません。

戸塚駅西口再開発事業の計画はすでに昭和37年から始まっていました。当時はまだ具体的な計画がなされず、事業が本格的に始まったのはつい10年ほど前のことでした。そもそも再開発は、戸塚バスセンターが手狭で駅から離れていたこと、道路が狭く駐車場も少なかったこと、そして商店街の木造家屋が老朽化し密集していたために防災上の問題があったこと、これらの問題を解消すべく始められた事業でした。しかし地主でもある商店街側がこの計画では商売がやっていけなくなると反対し、事業は暗礁に乗り上げてしまいました。その後しばらく動きはありませんでしたが、今から1年前の平成15年10月に事業を指揮する横浜市都市計画局が今まで進めてきた計画を再検討するとし、今出来ることとして、再開発中でもお店を開けるようにと新バスセンター予定地に仮店舗を設置するまでに至りました。しかし仮店舗完成間近になって商店街側が家賃が高すぎることを理由に仮店舗への移動に反対しました。結局仮店舗完成後も話がまとまらず1年近く経った今でもこの施設は使われていません。これに焦った横浜市都市計画局は事業を大幅に見直し新たな再検討案を発表しました。これによると仮店舗はそのまま残し、そこに出来る予定だった新バスターミナルは再開発敷地内の1番駅から離れた場所に設置し、駅利用者を回遊させ店に客を呼ぼうと計画しました。しかし今度は駅利用者(バスセンター利用者)が、商店街側の一方的な都合により新バスセンターが駅から遠くなることに反対しました。その時横浜市都市計画局が行ったアンケートの結果では半数以上の人が新バスセンターが駅から遠くなることに反対しているという結果となりました。そこでまた再検討が行われ、仮店舗はやはり取り壊して、交通広場としてバス以外のタクシーとマイカーが乗り入れるようにし、バスは降車時のみ駅前を利用できるようにするという妥協案が公表されました。しかし結局、新バスセンターが遠いことに変わりはなく商店街側の意見偏重だと言うことで駅利用者は納得しませんでした。こうしてお互い平行線を辿ったまま現在に至っています。
■2004年10月17日 跡地と駅前のその後
前回の大学への輸送力の問題についてと前々回の戸塚駅西口再開発の問題について進展がありました。
最初は薬科大学新設に伴う輸送力強化についてです。
都市計画局によると県内のバス事業者(神奈中)に対して新路線の開設(下飯田・ゆめが丘線)や
増便を働き掛けて行くそうです。こうやって前向きに話が進められているということは結構なのですが
都市計画局はバス以外の輸送力強化の方法を知らないのでしょうか。単にバスを増やしても道路や
バスセンターが限界に達しているので車内の混雑緩和にはなったとしても駅まで1時間近く掛かる体質は
変わりません。逆にバスを増やし過ぎる事によって道路やバスセンターに余計負担を掛けてしまう可能性も
出てきます。1973年、東京都総合交通対策担当専門委員会「総交通対策について」という報告において
公共交通体系の一環にモノレールが組み込まれる可能性について「地下鉄の設置が不可能な条件が
存ずる場合」や「バスを用いるにはいたずらに所要台数のみ増して経営を困難にし、道路混雑を
もたらす」
ような地域に設置する可能性ありとする。
(引用:社団法人日本モノレール協会20年の歩み)
と、言うような文言があります。都市モノレールの利点は「バスより大きな輸送力」と「バスでは
実現できない定時性」だと思います。各地域の実情に合わせた交通網を整備して行くのが「都市計画」
なのではないでしょうか。
次に、戸塚駅西口再開発事業についてです。
先日駅利用者からの意見が発表され、バスセンター(交通広場)の場所についての批判が多く寄せられ
ました。これを受け新たな案が提示されました。それによると、仮設店舗を取り壊し跡地に区役所などの
公益施設を建設、1階部分をタクシーや一般車両用の広場とする。駅前にバスの降車専用場を設ける。
この2つが変更になった点です。つまり、バスよりもタクシー・一般車両の方が駅前を利用出来、
バス利用者には遠くて申し訳ないから降りるときだけは駅前でもいいですよ。と言うことなのでしょうか。
誰のための再開発。何のための再開発。
目的を見失ったまま、結果だけを求めるのならば最後に残るのは失敗と後悔だけです。
■2004年10月6日 大学誘致の計画性
ドリームランド跡地に大学が開校することとなりました。場所は横浜市が所有する総合公園計画地ではなく、
それより南側のホテルエンパイアやテニスコートがある5.5ヘクタールが大学の敷地となります。
大学は2006年4月の開校を目指し、現在敷地内に残っている「ホテルエンパイア」「大宴会場グリーンパレス」
「SPIN-Xインドアテニス横浜」これら3施設は改装して再利用するとのことです。

元々この土地を所有していたドリーム開発にしてみれば、無用の長物であったホテルエンパイアの管理の
煩わしさから開放されるのですから、こんな都合のいい話はないと喜んでいることでしょう。さらに記事によると
横浜市や周辺自治体も地域の活性化に繋がるとして歓迎しているようです。

ですが、私は今回の話にとても不安を覚えます。それは「通学に合わせた輸送力の見直し」に関する情報が
一切ないからです。この場所に通うには公共交通機関がバスしか無く、そのバスは慢性的に輸送力が足らず
利用者は毎日の生活にとても不自由しているということについてはこのサイトで何度も説明してきました。
そこにある日突然、2000人以上の学生がバスに詰め寄ったとしたらどんな事になるでしょうか?
本来ならモノレールのような中量輸送機関が必要な場所を、今回の当事者でもあるドリーム開発、横浜市は
不要と判断しました。今回も何も考えていないのでしょうか。それとも大学専用のバスを新たに走らす、
全寮制にして寮をドリームハイツとするといった妙案でもあるのでしょうか。現段階ではまだ詳しいことは
わかりませんが、もし「輸送力」を見直せずこのまま大学を開校させたとしたら、ますます悲惨な事に
なるのではないでしょうか。

神奈川新聞/毎日新聞/タウンニュース
■2004年9月29日 このままでは何もよくならない
戸塚駅西口再開発の2回目の意見・要望が発表されました。その中でも一番多いのはやはり
交通広場(バスセンター)に関する意見です。最初だけを見ると2案(バスセンターを再開発事業地の1番奥に
する計画)でも構わないという意見が続きますがそれ以外はやはり圧倒的に現状不満・2案反対となっています。
地主(商店街)の都合尊重で利用者の意見が尊重されないのであれば再開発やる意味はありません。
利用者の誰もが納得していない2案を廃案とし、一刻も早く再開発が行われることを願います。

オマケ
ちょっと面白いデータが手に入ったのでこれに手を加えてみましょう。これによると戸塚バスセンターの1日の
乗降客数は28000人だそうです。そしてバスセンターと駅との間が約300m。これを掛けると8400km。
1年で約300万km。地球の円周を4万kmとすると地球75周分。つまり再開発が遅れていることによって
毎年地球75周を歩くだけの労力が無駄になっているということになります。この調子でドリーム線が
再開しなかったことによる損失を計算してみるときっと面白い結果が出てくるのではないでしょうか。
■2004年8月11日 「駅」に込められた願い
今回はローソン横浜ドリームランド駅前店についてのお話です。まずこのローソンというコンビニは親会社がドリームランドの親会社でもあるダイエーですからこの場所にローソンがあるのはごく自然なことだと言えるでしょう。次に店名の「横浜ドリームランド駅前店」ですが、誰もがなぜ「駅」を入れたのか疑問に思うことでしょう。そして仮に休止当時モノレール線が再開した場合この場所は車庫だったため、別の場所に車庫を作らない限り、駅とコンビニが共存することは出来なかったと思われます。今回判った事はこの店の事業者がドリーム開発だったことです。ドリーム開発のサイトにある事業種目の欄には「鉄道業付帯事業として小売業・不動産賃貸業」とあり鉄道業は再開事業、不動産賃貸業は軌道下の駐車場運営だということは判っていたのですが、小売業というのが何を指していたのか前から疑問でした。今回の結果を踏まえて
この小売業と言うのはドリームランド駅前店の運営だったということです。つまりこの店名はドリーム開発が
名付けたと言うことになります。私の推測ですが、わざわざ「駅」といれたのはドリーム開発の無言の主張だったの
ではないでしょうか。「いつの日かまたここに駅が出来るのだ。夢は捨ててない」と・・・
この駅前店の今後ですが、新設されるバスターミナルと被るので無くなるのではと思っていましたが、計画図
よるとターミナルと被らないようですから、ドリーム開発のやる気がある限りこの店は続いていくのでしょう。
ただし、ドリームランドとランド駅が亡き今「横浜ドリームランド駅前店」と名乗り続けるのにも限界があります。
いつまでこの店名が続くのか判りませんが、今ではモノレールがあったことを伝える数少ない証拠です。
「ここにモノレールがあった。そして再開させる夢があった」と・・・
■2004年7月8日 代替案「下飯田・ゆめが丘線新設」「バスターミナル整備」について
横浜市はモノレール線廃止後の対応策として「環状4号線の整備に合わせたバス路線の新設」と「跡地周辺に
バスターミナルを整備
」を挙げています。今回はこれについてのお話です。まず始めに「環状4号線の整備に
合わせたバス路線の新設」についてですがこの環状4号線とは金沢区六浦と青葉区鉄町間を市境に沿って
南北に結ぶ全長37キロの道路です。現在、原宿以南はすでに開通していますが泉区や瀬谷区と言った
北側区間は整備中です。今回関係してくるのはドリームランド手前の深谷と下飯田・ゆめが丘駅とを結ぶ
約2キロの区間で、平成16年度末の開通を予定しています。横浜市はこの区間の開通にあわせドリームランドと
下飯田・ゆめが丘駅とを結ぶバス路線を新設し、ドリームランド線の代替としたいようです。次に「跡地周辺に
バスターミナルを整備」ですが、これは現在バラバラに点在するドリームランドのバス停とバスの折り返し場所を
バスターミナルとして一箇所にまとめる計画でドリームランド線の車庫があった場所がターミナルとなります。

このバス路線とターミナルの新設によりモノレールの代替となるかと言うと私はそうは思いません。
確かにこの路線の開通を心待ちにしている方も多いですし、少なからず戸塚・大船線の車内混雑解消には
繋がると思います。ですが現在抱えている交通問題の解消とまでは至らないと思われます。
それは接続駅である下飯田・ゆめが丘駅の現状を見てみれば判ります。

下飯田駅は横浜市営地下鉄1号線戸塚-湘南台の開業によって、ゆめが丘駅は相鉄いずみ野線いずみ中央-
湘南台の開業によってどちらも平成11年に誕生した新しい駅です。両駅間徒歩5分程度の距離があり、
乗り換えは通常は湘南台駅で行われています。両駅とも湘南台駅と各駅との間を埋める目的で開業され、
周辺からの強い要望があったという話は聞いたことがありません。駅周辺は、民家も少なく畑が広がり駅前の
商業施設はコンビニくらいしかありません。そして今後も駅前整備が行われる様子がありませんので、今回の
環状4号線開業に伴うバス路線新設以外大きな発展がないのではないでしょうか。駅の乗降客数については、
下飯田駅3151人/日(平成13年度)、ゆめが丘駅1109人/日(平成13年度)とそれぞれの路線で一番乗降客数が
少ない駅となっています。更にドリーム方面からの利用を考えると両端の駅である湘南台駅と立場駅にはすでに
バス路線があり、湘南台駅は小田急線・相鉄線の接続駅、立場駅は駅前に大規模なスーパーなどの商業施設が
充実しておりわざわざ最寄り駅を下飯田・ゆめが丘駅に変更するメリットは少ないと思われます。ではなぜ
横浜市はこのバス路線の開業に積極的なのでしょうか。それはドリームランド跡地計画が関係していると
思われます。跡地は横浜市が買い取り墓地・球場を軸とした大規模な公園を計画しています。これらの場所に
アクセスするには駐車場は一応ありますが、多くの人はバスを利用することでしょう。そうなるとバスの本数の
多い戸塚駅や大船駅から来ることになりますが、駅前の整備が遅れているからバス乗り場が遠く判りづらく、
道路の整備が遅れているから激しい渋滞に巻き込まれる。こんな状況では公園に行くのには大変な思いを
しなければなりません。こうなってくると横浜市側にとっても都合が悪くなります。そこで、市が新しく作った駅
(下飯田駅)と市が新しく作った道路(環状4号線)と市が新しく作ったバスターミナル(ドリームランドバスターミナル)
を用意することによって、これらの問題を解決しようと考えたのではないでしょうか。

別にこの計画が悪いとは思いません。バス路線の新設や環状4号線の整備はとても重要な計画だと十分認識して
います。ですがこの計画とモノレール線代替計画を必ずしも一緒にすべきではないと考えています。
横浜市がモノレール線代替案を真剣に考えるならば原宿交差点の立体交差化や戸塚、大船両駅西口の
駅前再開発等を先に取り組むべきではないでしょうか。どちらも地権者の合意が得られず非常に難しい計画では
ありますが一刻も早く計画が実現できるよう取り組んでもらいたいと思います。

ドリームランドから各駅へのバスの本数(平日・片道)
戸塚バスセンター 204本
大船駅 102本
立場ターミナル 36本
藤沢駅 29本
湘南台駅 28本
合計 399本
下飯田駅・ゆめが丘駅 30本前後?
■2004年5月11日 新区長
今年度から戸塚区は新しい区長さんに代わりました。と言っても横浜市の区長は東京特別区と違って
事業決定権を持たないので、いきなり街が変わると言うことはないのですが、今回から横浜市の区長は
市職員の中から公募するようになり、今回の新しい区長さんはその公募制によって選ばれた人なのです。
その区長さんの前任は都市計画局で働いておりある事業がきっかけで戸塚区に愛着を持ち、戸塚区の
区長になろうと決心したのだそうです。その事業こそがドリームランド線再開事業です。

事業計画をしておきながら結局計画を断念してしまい結果を出すことは出来ませんでしたがこうやって
戸塚区の現状を知り改善しようと努力して下さるのですから大いに期待しています。
特に戸塚区の道路整備の遅れを一番の課題だと認識していらっしゃるようなのでなんとか道路を早急に
整備するよう横浜市に働きかけてもらいたいです。

個人的にはドリームランド線再開計画の裏話とか聞きたいな・・・

[参考:活性化へ道路整備重点に─タウンニュース]
■2004年4月10日 予算
モノレール線再開計画で一番関係の深かった行政といえば横浜市ですが、横浜市からしてみれば面倒くさい
事業だったと聞きます。その理由の一つに毎年予算を組まなければならなかったという事があるのですが
どのように予算が組まれていたのか気になったので調べてみることにしました。幸い、横浜市のサイトに
廃止直前であった平成14年度の予算を見ることが出来ました。平成14年度 予算概要 都市計画局
これによると「ドリームランド線検討調査費」の名目で100万円の予算が充てられていたようです。たかが
調査に100万は高いと思いますが、予算の最小単位が100万円でしたからしかたがなかったのでしょう。
これが毎年予算に組まれていた訳ですから確かに面倒くさい話です。そういう意味ではモノレール線
廃止で一番喜んでいたのは横浜市だったのかもしれません。それにしても毎年100万も使っていったい何を
調べていたのでしょうか。今回横浜市のサイトを使ったのですが、これ以外にもドリーム線やドリームランド
跡地計画の資料を見ることが出来ます。リンクに一覧を作成しておきましたので興味があれば調べてみては
いかかでしょうか。
■2004年3月24日 社史
先日、神奈川県立川崎図書館に行ってきました。ここには日本で唯一社史を専門に扱う社史閲覧室があり誰でも
自由に閲覧することができます。そこで東芝の社史を調べてモノレールがどのように扱われていたのか調べて
みようと思いました。県立川崎図書館は川崎駅から徒歩15分ほどの場所にあり駅前には神奈川県立図書館が
あります。こちらは社会・人文科学系そして川崎図書館は自然科学・工学・産業技術系が揃っています。
川崎市は東芝の街と言っていいほど東芝の関連工場が多いので東芝の資料について期待が持てます。
社史閲覧室は最上階にあり、こじんまりとした空間でした。肝心の東芝の社史は奥のほうの一番上の棚に
10冊ほど並べられていました。重複しているのもありましたが、他の企業と比べても多かったですから
さすが東芝の街だと思います。社史を分類すると、社史(昭和一桁、昭和38年、昭和50年代)東芝府中の
社史(2、3冊)就職用の企業情報の本(2、3冊)とこんな感じです。まずは昭和50年代の社史を見てみました。
5センチ以上はある辞書みたいな本を片っ端から探したのですが結局東芝モノレールに関する情報を
見つけることができませんでした。製品年表のページにも触れられてはいませんでした。ただ東芝の交通部門を
紹介するページで現在、新交通システム・小型モノレールの研究を行っているとされていました。
東芝跨座式を闇に葬る一方、もう一度交通事業をやってみたいという思惑が見え隠れしています。
次に昭和38年の社史を調べてみました。横浜ドリーム線の開業前ですが奈良ドリーム線開業から2年目という
ことでモノレールについて何かしら触れられているのではと思いました。早速カラーページの片面に
奈良ドリーム線の写真が載ってあるのを見つけました。モノレールの紹介も載ってありましたが、
モノレールは未来の乗り物であるといった感じの解説だけでしたので、詳しい情報や横浜ドリーム線に
ついては語られていませんでした。あとモノレールがつくられたとされる東芝府中の社史も見てみましたが
やはり何も触れられていませんでした。結局大して得るものが無くこのまま帰るのもつまらないので他の
社史も覗いてみることにしました。そこで気になったのは鉄道事業者の社史を扱った棚です。そこにはなぜか
あまり聞いたことの無い地方鉄道の社史が多く並んでいたのですが、その中で真っ黒な本が目に留まりました。
背表紙を読むと「社団法人日本モノレール協会20年の歩み」と書かれています。正直ビックリしました。
昭和57年に発行されたとされるこの本はモノレール協会会長のあいさつから始まり、続いて当時の
中曽根内閣総理大臣、運輸大臣、建設大臣、自治大臣の祝辞とただならぬ雰囲気が漂っています。
続いてモノレールの歴史、協会の活動内容の紹介、モノレール年表などと続き後半は北九州、千葉、大阪、
沖縄、多摩の当時まだ建設中だった都市モノレールの紹介となっています。その中で興味深かったのは
業界関係者で行われたモノレール座談会の記録でした。これはなぜか10年前(昭和49年)の「モノレール協会
10年の歩み」からの再録だったのですがモノレール業界の裏話満載でそこには横浜ドリームランド線の話もあり
とても興味深い内容となっていました。詳しい内容については最後に紹介しますが東芝モノレールとして、
ドリームランド線を扱っていました。ただ気になった点もあります。この座談会のページには上野、奈良ドリーム、
犬山、東山公園、湘南、向ヶ丘、よみうりランド、日本万博と各モノレールの写真が掲載されていたのですが、
姫路市営と横浜ドリームランド線については一切載っておらず、失敗したモノレールについては触れたく
なかったのでしょうか。次にモノレール年表で横浜ドリームランド線の休止日が9月4日とされていたことです。
今まで24日か27日かで分かれていたのですが、4日説も加わりいったい何日に休止となったのか余計
判らなくなりました。こんな感じで謎が謎を呼ぶ本でしたが、全体を通して感じたことは日本のモノレールは
都市モノレールのためにあるということだと思います。だからこそ日本には様々な種類のモノレールが
誕生しそして消えていったのではないでしょうか。こんな感じでこの「社団法人日本モノレール協会20年の歩み」は
モノレールについて詳しく知りたい人にはオススメな本だと思います。あとこの本以外にもう一冊借りてこちらは
社団法人神奈川県バス協会が発行した創立30周年記念誌「神奈川のバス」という本で昭和52年発行と
なっています。ドリーム交通はモノレール事業以外にも貸切バス事業もやってましたので、バス協会の
会員でありましたし、この昭和52年というのはドリーム交通が事業再編のために新ドリーム交通とドリーム開発に
分割した年でもあります。この本にはまだドリーム交通として載っており、会社の略歴、貸切バスの写真といった
ドリーム交通に関する数少ない資料を目にすることが出来ました。今回はそれなりに情報を得ることが
出来たので東芝の敷地内にある鶴見線海芝浦駅に寄って帰ることにしました。

「社団法人日本モノレール協会20年の歩み」10年の歩みをふり返って 横浜ドリームランド線に関する話題の要約
フランスのサフェージュ社が懸垂型モノレールの技術を日本の企業に持ちかけていた。
そこで東芝は日立のアルヴェーグの技術に前から関心があったのでサフェージュの技術に大きな関心を持った。
ところが一足先に三菱に話を持っていかれてしまい、結局東芝は自社でモノレールを開発することとなった。
その後三菱は日本エアウエイ開発という会社を設立し、東芝や新日鉄などに資本参加をしてもらうことにした。
だが日立がアルウェーグ社と技術導入契約をした昭和35年にはすでに東芝は府中にモノレールの
試験線ができており翌年には4ヶ月くらいの短期間で800mの奈良ドリームランドモノレールを完成させていた。
その東芝が開発した奈良ドリームランドのモノレールはアメリカのディズニーランドモノレールとつくりが
ほとんど同じだったが東芝はこれは外国の特許ではなく自分たちが発明したものだと主張した。
更に今度はアルヴェーグの特許に抵触していたことがわかったが、東芝は異議申し立てをして
昭和43年になってようやく解決することができた。

「社団法人日本モノレール協会20年の歩み」は県立川崎図書館で見ることが出来ますが遠くて見にいけない、
実物が欲しいという方は7000円で買うこともできます。
■2004年1月31日 お金の話
誰もが気になる(?)モノの値段について調べてみました。なんか単位が大きすぎて100億が100万くらいに
見えてしまいます。なお、このデータが間違っていても責任は取りませんので。
USSのドリームランド跡地購入費用 88億円
ドリーム線撤去費用(全長5.3キロ・橋脚256本) 100億円 1mあたり190万円・橋脚1本あたり4000万円
横浜市のUSS所有跡地購入費用 101億6000万円 用地費97億円+遊具撤去費用4億6000万円
ドリーム線小型モノレール再開費用(全長5.3キロ) 300億円 1mあたり570万円
ドリーム線HSST再開費用(全長5.3キロ) 1000億円 1mあたり1900万円
みなとみらい線(全長4.1キロ) 2600億円 1mあたり6300万円
ダイエー連結有利子負債残高 1兆2000億円
アクアライン総事業費(全長15キロ) 1兆4000億円 1mあたり9300万円
横浜市負債総額(人口353万人) 2兆6000億円 市民1人あたり74万円
日本の長期債務残高総額(人口1億2600万人) 900兆円 国民1人あたり710万円
うまい棒 10円 原価8〜9円
■2004年1月21日 六会長後線
ドリーム交通には大船線以外にも長後線を開通
させる計画があったのですが、当初は長後駅
ではなく六会駅とを結ぶ計画でした。六会駅は
直線距離が一番短かったのですが接続する
小田急の急行が止まらなかったため急行停車駅
である長後駅に計画が変更されたのです。
今でしたら、街の発展等を考えると湘南台駅が
選ばれたのかもしれません。
長後線の一部は大船線と同じルートをたどるため
大船線建設時に一部が一緒に建設されランド駅−
宇田川沿い間に複線用の橋脚が、その中でも
ランド駅−ランド坂下間には軌道まで用意されて
いました(現在撤去済)。複線用橋脚は宇田川沿い
途中で単線用橋脚に切り替わるためそこが
大船線との分岐点となります。分岐後宇田川を跨ぎ
長後駅へと向かうのですが、現在川を越えた先には
小学校があります。今回調べた結果昭和50年に
開校したそうなのでその頃には事実上、長後線を
開通させるつもりはなかったものだと思われます。
結局長後線は開通することなく消えていきましたが
もし現在走っていたとすればドリームランド、長後駅、
そして沿線はどのような発展を遂げたのでしょうか。

写真上:撤去前のランド坂。左の軌道が長後線。
写真下:橋脚の違いによりここが分岐点だったと
     推測できる。写真手前がドリームランド。
■2004年1月16日 正面衝突
今朝、戸塚バスセンター発大船駅行きのバスが
長尾台付近で車線をはみ出した乗用車に正面衝突をし、
5名の乗客が負傷したそうです。乗客は40名ということ
ですからほぼ満員の状態です。私は基本的に戸塚駅を
利用していますし、この路線も普段使いませんが
バスに乗るときいつも前の方にいますし、長尾台は
ドリームからの路線も通りますので明日はわが身だと
感じています。こればっかりは自己防衛しようがないので
無事を祈るしかありません。関連記事
もう一つ心配なのは、明日の雪の予報です。
明日からはセンター試験が始まります。もしダイヤの
大幅な乱れが起きた場合大変な事になりますので
雪が降らないよう祈るばかりです。関連記事
写真:数百メートル手前が長尾台。現在道路拡張中。
■2004年1月12日 赤字路線
日本のバス路線の8割は赤字だそうです。もし赤字路線を廃止すればそこで生活する人たちの「足」が
奪われてしまいます。一方で、日本有数の利益率を誇るドリーム線(ドリーム-戸塚・ドリーム-大船等)も
住民の「足」が十分確保出来ていない事で問題となっています。なぜ利益があるのにバスの本数が
少ないのかというと先に述べた赤字路線の存在です。赤字の補填を自治体負担だけで賄うのは難しい
ですから、黒字路線の利益を赤字路線にもってくるわけです。ですから少しでも利益を増やすために
黒字路線の運行本数を少なくして1台あたりの利益を増やしています。ただ、ドリーム線のバスの
本数の少なさの原因は他にもありますが・・・
さすがにこの問題をバス事業者だけで解決するのは不可能です。まずは環境問題や交通問題をしっかり
考え生活の「足」をマイカーからバスや電車に切り替えられるよう意識改革する必要があると思います。
関連記事
■2004年1月3日 箱根駅伝
正月の風物詩といえば箱根駅伝。そこで毎年ドリーム交通の国一跨線が映っていたわけですが
とうとう去年撤去されてしまいましたので今年からは、駅伝であの軌道を見ることができなくなりました。
ところで駅伝を見てて毎年心配しているのですが排気ガスを吸いながら走って苦しくないのでしょうか?
私だったらこんな場所絶対走りたくないです。それぐらい幹線道路は空気が汚れていると思います。
一方すごいと思うのは、その速さです。人間必死に走れば、原宿交差点から戸塚駅そばまで10分と
かからないのですから。バスで1時間が人力で10分。走ろうか・・・
■2003年12月24日 信号所で見つけた変な物
小雀信号所のドリーム側の車止めの上にコップ
みたいなものがあるのですが何でしょうかねコレ。
■2003年12月23日 ランド駅手前のうつりかわり
上から
1966年開業前/2003年撤去前/2003年撤去後
切ない・・・

■2003年12月22日 設計時の強度計算
今年の8月に新潟で陸橋型連絡通路が崩落するという事故がおきましたが崩落原因は設計段階の強度計算が
不十分だったからだそうです。とても他人事ではない話です。幸い死傷者は出ませんでしたが、これがもし
ドリーム交通だったら崩壊は車両通過時に起きた可能性が高いですから、そうなったら大惨事は免れない
でしょう。そういう意味では早くに休止としたのは正しい選択だったのではないでしょうか。現在ハイペースで
撤去が行われていますが、今度は老朽化で崩壊する危険性があり東海地震が起きる前になんとか撤去を
終わらせたいという思惑があるのかもしれません。

■2003年12月18日 大船駅と戸塚駅
ドリーム周辺に住んでいる人に最寄り駅はどこかと聞くとおそらく戸塚駅・大船駅・湘南台駅・立場駅・藤沢駅の
5つにわかれると思います。それぞれの駅からちょうど中間位置にあるのがドリームなのです。ではその中で
どこの駅が一番利用者が多いと思いますか?大船駅と思うかもしれませんが、実は戸塚駅の方が多いのです。
それはバスの本数の差によるものです。時間も距離も駅の規模も大体同じですが戸塚路線の方が周りに
住宅地が多く利用者が多い分、本数も多くなっています。しかしそれによりドリームからの乗客が戸塚路線に
偏るため、途中から乗車する客がバスに乗れなくなってしまう問題が起きています。ですからモノレールが
再開するということは直接の利用者で無い者にとってもメリットがあったのです。

■2003年12月14日 モノレールが必要なわけ
モノレールが無い今、代わりとなるのが路線バスなのですが現状はうまく機能していないことにより様々な問題を
抱えています。

バスは距離的に考えれば15分もあれば駅に着くのですが渋滞や乗客の乗り降りにより2倍も3倍も多くかかって
しまいます。渋滞は原宿交差点だけでなく国道一号線全体で発生していていますし、さらに駅周辺が再開発
されていないので駅前渋滞も問題となっています。運行本数はラッシュ時2分間隔、日中7分半間隔ですが
駅まで遠く利用者が多いのでこれでも足りません。それにより駅に近いバス停ほどバスに乗れなくなり通過
してしまうことがあります。乗れても常に満員ですし日中でも混んでいます。
これらを解決してくれるのがモノレールの再開だったのですがそれがなくなりバスの増便も期待できませんから、
今後もこの状態が続くのでしょう。

普通、鉄道が廃線になるのは利用者が減ったことが原因となるのですが、ドリーム交通の場合、ドリームランドが
閉園しても需要はありますし廃止が決定したからといって需要がなくなったわけではありません。
ですからこの問題が解決されるまでモノレールの存在が消えることはないのです。

■2003年12月10日 リニューアルしました
今日から少し新しくしてみましたがいかがでしょうか?出来るだけ判り易くそして使いやすいよう配置してみました。
そしてここではモノレールについての考察や現状なんかを伝えていきたいと思います。
これからもよろしくお願いします。